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パソコンに思うこと。(その5) 

パソコンに思うこと。
パソコンに思うこと。(その2)
パソコンに思うこと。(その3)
パソコンに思うこと。(その4)

私が(何を血迷ったか、)バブルの波に乗らず、博士課程に進学してしまった。

隣の、高エネルギー研究室では、ワークステーションというものを購入していた。
当時、私自身、NEC98で満足していたのだが、DECのVAXというものがあった。

これは、MSDOSなるOSとは全く異なっていた。なんかディレクトリを表すのに$がやたらと使われていた。

これは、(研究で)イタリアに行ったときに、研究室には、これが標準であった。このころから、電子メールというものを使い始めた。

次に、sun microsystemsのワークステーションが設置され、私もアカウントをもらった。

このころから、コンピュータ=1人しかつかうことができない。
という概念が覆された。

えらそうなワークステーションが1つの教室にあったが、それを別室の端末(TAKAOKA MINT)というもので操作するのである。

1台に同時に3~4人が同時に使っていた。これが、マルチタスク、タイムシェアリングであった。

メールも、Muleというエディタで漢字を用いて送ることができた。このころからホームページも見ていた。

後輩たちが、夜中にオランダあたりから無修正画像を印刷していた。大体'93年あたりであったろうか。

私自身、解析は主に、MSDOSのTurbo Cでやって、ホームページはsunのワークステーションで遊んでいた。

当時のデータ解析のスタイルはというと、
元ファイル(バイナリ)→アスキーで読める元ファイル
に変換し、さらに
アスキーで読める元ファイル→アスキーで読める物理量のファイル
に変換する必要があった。

当時の日ごろの生活はというと
昼12:00起床→昼食(?)、13:00学校→プログラムを作り、走らせる。→本屋に行く。(2~3時間)
→学校に帰り、データができていることを確認。パラメータを変えて、解析。→研究室の皆と夕飯。
→解析。→夜中3時帰宅→4時就寝。

なる自堕落な生活を送っていた。データを計算させるのに非常に時間がかかったのである。
ワークステーションにはUNIXなるOSが動いていて、GNUのプログラムがいくつかあった。

この中で特にお世話になったのがTEXというソフトであった。これは、MSDOS用のものもあり、研究室のNEC98のハードディスクの中にもあった。

'95年が来て、世間では、「Windows95」が騒がれていたが、研究室内はそれほど変化がなかった。
というのは「ソフトがない。」ことと、「Win95上でMSDOSプログラムを走らせると遅い。」ことで我々は、普通にMSDOSを使っていた。別にマッキントッシュでは今までウィンドウズシステムで動いていたのになぜそんなに騒ぐのかと思っていた。

これとは、別に過去の研究室の人が作った「SOLAS」という手作りコンピュータがあった。これは何とMSDOSの前身のCPMというOSで動いていた。

当時の私は、BASICとかCしか知らず、CPU8085のアセンブラを覚えざるを得なかった。
これはメモリーに数値を入れる。→メモリーをしまい込む→メモリーを呼び出す→演算する
てなことを繰り返さねばならない。

実際、コンピュータでは頻繁にこういうことが繰り返されている。
普通の人は、
コンピュータを買う。→BASICを習う。→動作に不満を覚えてアセンブラを習得。→C言語等に発展。
であるが、私の場合、
コンピュータを買う。→BASICを習う。→Cを習う。→仕方なくアセンブラを習得。
という風になった。

'98年頃から、Windows98が出てきて、研究室のパソコンもちらほらWin98が出てきたのを覚えている。このころになると一世風靡していたワープロソフト「一太郎」が少し陰りを見せ、マイクロソフトのワードの勢いが強くなった。unixのソフトであるTEXやGNU plotもwinndows版に作られたものが出始め、解析プログラム以外はWindowsを使うようになった。このころから、インターネットやe-mailというものが世間に普及し始めたように思われる。

でもwin98のコンピュータが出始めたころ、何で1~2Gbyteもハードディスクがいるのだろうとか、メモリーが8Mbyteだなんてと思っていた。
GUI環境を快適に使うために、メモリーもたっぷりといるし、アプリケーションプログラムもどんどんと肥大化していった。

ここでパソコンはかなりの進化を遂げていったように思う。8086→80286→80386→80486
となった後、64ビットデータバスCPU でpentiumという名前になった。

そしてハードディスクはGbyte、メモリーも10M 弱。

当初、メモリーも、ハードディスクも非常に高かった。ところがマイクロソフトか、インテルのおかげか、このような馬鹿でかいスペックを1台のコンピュータが要求したおかげで価格は下落した。

'99年、就職が決まると同時に私もDELLのペンティアムマシンを買った。このころになるとNEC98シリーズは滅んでしまった。

別にNEC98でなくともウィンドウズが動けばよいのである。Pentium2 400MHz、メモリー32M、ハードディスク8Gであった。

当時のスペックとしては、劣らないものであった。
このころ、こういったPC(パーソナルコンピュータ)でもUNIXが走るLinuxというものが出ていた。
「自分のパソコンがUNIXになるなんて。」ということですぐに導入した。

プログラムなどは、コマンド上でgcc ABC.cとすればすぐ実行できる方が便利だったからである。
研究室の「自動計測装置装置、粒子望遠鏡」も改良が加えられ、従来、測定部分は、CPM、記録部分はMSDOSで動いていたものをLinuxのOSで動くように改良した。

粒子望遠鏡 従来、CPMとMSDOSで動いていたものを、Linuxで動くようにした。


Windows98→Windows Me→ Windows XP→Windows Vista
と流れが変わり、CPUもCore2duoという、「2つ頭」が登場、メモリーも2G、ハードディスクも100G~というのが標準になってしまった。

'99年頃買ったDELLのコンピュータも確かモニター込みで18万円ぐらいで、安いと思ったが、今はその価格でもちと高いというようになってしまった。
しかしながら、スペックは、'99年頃に比べると格段の差がある。

学生時代、苦労して解析し、時間も数時間かかっていたものが、数分、いや数秒になったと思われる。
すごかったOS、UNIXも
UNIX→Linux→windows上で動くcygwin
というものが登場し、OSの垣根もなくなってしまった気がする。また、UNIXで動いていたGNUのプログラムもWindows版で動くものに移植されていった。

昔のように「コンピュータはプログラムするもの。」という概念がなくなり、「ワード、エクセル、パワーポイントが扱えればよい。」的なものに変わった。表面的な操作=パソコンが使える というようになってしまった。

コンピュータの日進月歩は驚くものがあり、自分の経験を述べてみた。
このような経緯を見た上で、今一度パソコンに思うこと。の動画を見てください。
哀愁が漂います・・・・。(武田鉄矢が若い・・・。)
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